右派弁護士の備忘録

世界文化に対する過去の日本人の態度は、自主的にして而も包容的であつた。我等が世界に貢献することは、たゞ日本人たるの道を弥々発揮することによつてのみなされる。国民は、国家の大本としての不易な国体と、古今に一貫し中外に施して悖らざる皇国の道とによつて、維れ新たなる日本を益々生成発展せしめ、以て弥々天壌無窮の皇運を扶翼し奉らねばならぬ。これ、我等国民の使命である。

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帝国憲法を金科玉条・不磨の大典とするの誤り

帝国憲法をあまりにも神聖視するは誤りである。
これまで何度も憲法無効論を主張してきたが、戦前の過ぎたる美化などは、私は採らず。
その時代時代に都合よく変えてけばいい。

「それ大人制を立てて、義必ず時に隨ふ。苟くも民に利有らば、何ぞ聖の造に妨はむ。」

「そもそも聖人がある制(のり)を立てる場合には、かならず時勢に適合した道理にもとづくものである。
だからかりにも人民に有利なことであるなら、どんなことでも聖人の行うわざとして妨げはないはずである。」
(中公クラシックス日本書紀Ⅰ-144頁)

(なんか「人民」って訳微妙に左翼臭がして嫌だな…。「民(たみ)」の方が日本らしい。)
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憲法無効論(1)

本格的に憲法無効論を勉強してみようと思う。
アマゾンで、

日本国憲法失効論(菅原裕)
正統憲法復元改正への道標(小森義峯)
憲法学要論(竹花光範)
憲法正統論(相原良一)

を購入。合計3000円以内で買えた。
ドンだけ人気無いんだよ、無効論(笑)。
井上孚麿先生の本は、高かったので、やめた。
とりあえず、届くのを待とう。

「内容の良さの違いが、有効論の決定的根拠ではないということを・・・教えてやる」

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高乗正臣「憲法改正論の系譜」(論文の引用)

(1)八月革命説 論外なので引用せず

(2)改正説 論外なので引用せず

(3)無効論
 ア 内容
 「井上孚麿教授」「、相原良一教授」「などによって唱えられた説である。
 この立場は、改正の時期や方法などを理由として現行憲法が無効であることを主張する。まず、第一に、帝国憲法が改正された時期はわが国の国家統治の権限が連合国最高司令官に従属している時期、すなわち国家の統治意思の自由のない時期になされたこと、第二に、現行憲法の成立過程の全般にわたって占領軍による「不当な威迫、脅迫、強要」が存在したこと、さらに第三に、帝国憲法の改正は、占領者は絶対的な支障がないかぎり占領地の現行法を尊重すべきことを明記するハーグ陸戦法規(一九○七年)に違反していること、などを根拠に現在も現行憲法は無効であるとする。
 これとは論拠を異にする見解に、小森義峯教授の「非常大権説」「」がある。この立場は、ポツダム宣言の受諾と現行憲法の成立を、帝国憲法三一条に定める天皇の非常大権の発動として説明する。つまり、ポツダム宣言の受諾は天皇の非常大権の発動によってなされたものであるから、それを原点として成立した現行憲法は「暫定基本法」としての性格を有するに過ぎず、「憲法」としての性格を有しない。憲法としては、占領期間中といえども、あくまで「大日本帝国憲法」が厳存した。ところで、帝国憲法は占領下では「仮死」ないし「冬眠」の状態にあったが、占領解除の時点において「法理上当然に非常大権の発動は解除され、帝国憲法は完全に復原した」とする。教授によれば、今日でも憲法としてはあくまで帝国憲法が厳存しており、日本国憲法は帝国憲法に矛盾しない限りにおいてのみ「基本法」として有効であるという。」
 イ 批判
 「戦後五十余年間、今日に至るまで、日本国憲法という法典が存在し、それが現実に法的拘束力をもって機能しており、大多数の国民がこれを承認しているという厳然たる事実が存在する。現実に拘束力をもっている法規範がなにゆえに効力がないのか。無効論に投げかけられる疑問は、むしろこの点にあるといえる。この無効論の弱点は、そのまま「復元改正」論や「無効破棄」論の弱点となろう。」

(4)占領管理法説
 「竹花光範教授の立場がこれである」「。
 まず、竹花教授は、ポツダム宣言および降伏文書に基づいて行われた占領軍の日本統治は、間接統治の方式によったが、占領期間中、日本の主権が連合国最高司令官の手にあったことは明らかだとする。すなわち、占領下においては「占領軍の意思」が実質的には最高規範であり、最高司令官の指示が憲法に優越したから、それが憲法の規定と矛盾するときは憲法の効力が停止する状態となった。そうだとすれば、ポツダム宣言の受諾により、帝国憲法はその法的性格を変えたと解さねばならない。つまり、帝国憲法は、占領軍の占領施策に不都合でない限りにおいて有効であるにすぎないものとなった。いわば、帝国憲法は一種の「占領管理法規」に変質したとする。
 さらに、教授は、憲法が国家の最高法規といえるのは、国家の法秩序の中で最高の強制力を有するからであって、強制力の最高性が失われた法規が「憲法」であるはずがないという。日本国憲法の成立過程も「占領管理法」となつた帝国憲法を全面的に改めるという方式で行われたということになる。
 では、このような過程で成立した日本国憲法の性格はどのように考えるべきか。教授は次のように述べる。憲法は、主権すなわち憲法制定権力を行使して作られ改められるべきものである。憲法改正権は、憲法に定められた条件の下にその行使が義務づけられている憲法制定権と考えてよい。したがって、主権なくして(占領下に)憲法の制定も改正もあり得ないということになる。とすれば、「日本国憲法」なるものは、名称は「憲法」であっても、実体はポツダム宣言受諾後の帝国憲法と同様、占領軍がわが国を占領統治するための基本法、すなわち「占領管理法」だといわざるを得ない。」

(5)高乗正臣氏の自説
 「これまで見たように、八月革命説と改正説には事実に反するという欠陥があり、無効論にも理論上の難点がある。このことは、主権を否定された占領下に、占領軍の威圧、強制によって成立させられた現行憲法の法的性格を合理的に説明することが、いかに至難の業であるかを、間接的に証明するものである。
 これらに対して、現行憲法を占領管理法として位置づける見解が比較的妥当な考え方といえよう。
 ところで、ポツダム緊急勅令等の一般の占領管理法は、占領の終了時に失効したものとして廃止の手続がとられたが、日本国憲法のみは廃止の手続がとられずに、その後は最高法規としての効力をもち続けた。この点をどのように考えるかは問題であろう。
 竹花教授が指摘されるように、天皇を含む日本国民が日本国憲法に対して「憲法」としての黙示の承認を与えたと見れば、昭和二七年四月の独立回復時に、日本国憲法は法的性格を変えて主権国家日本国の正式の「憲法」となったといえよう。この立場からすれば、日本国憲法の改正は九六条の規定に基づいて「補修的改正」を行うことが筋ということになろう。しかし、国民による明示の承認がないことを重視して、あくまで占領管理法としての日本国憲法が今日まで継続施行されていると解すれば、国会においてこれの廃止措置を講じた後、新たに「自主憲法制定」に進むことが筋であろう。」

※一番良い部分
「憲法の正統性を論ずる際、成立過程の事実を無視ないし軽視して、成立した憲法の質や内容を問題とする「結果本位、実益本位」の考え方は、結果さえよければ植民地支配さえ正当化するという不当なものである」。

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短答過去問-読むべきか解くべきか

過去問を読むべきか、解くべきかについて、議論があるようだ。「解く暇があったらドゥンドゥン読め!」とか、「自分の頭使って解いてから、答え見ないと実力つかないぞ!」とかの類の議論である。井藤公量先生(P&Cの人)の本とか、色々な予備校の先生の勉強法の本を読んだ人の間で、しばしばなされる議論である。

私は、両方正しいと思う。八方美人ではない。勉強の「段階」による、という事である。初めて短答過去問に取り組む際、私は、まずは問題を解くのではなく、読む流すことをオススメしたい。私の経験から申し上げると、入門講座を聞いただけでは、解けるまでに知識の程度が達していない。ただ、しっかり読めば、ある程度過去問の解説の内容が理解できる、という程度にはなっている(それすらも怪しいのが普通である。)。したがって、解いても間違いだらけで反対にやる気を喪失してしまう。逆に言うと、入門講座を聞いた後、過去問を解いて、ある程度正解できるのであれば、あなたは低スペックではない。私のブログを読んでも意味がないので、とっとと出て行きやがれ(笑)!

まずは、しっかり過去問を一周しないといけない。これは、時間がかかる。そのため、「解いている暇はない!嫁、じゃない、読め!」という話になる。しかし、いつまでも読んでいるワケにはいかない。本試験では自分で解かないといけないんだから。そこで、読み込みで二周くらいした後(人によりけり。なかなか一回ではワカラン、という人は二周くらいは読み込みしてもいいだろう。)、解くべきである。この段階にある人には、「いつまでも読み込んでたら駄目だ!自分の頭で考えて解くのだ!」と助言することになる。結局、読むべきか、解くべきか、これは、自分の勉強の段階によって異なる。過去問初心者に「解きなさい」というのは間違いであるし、過去問をある程度通読した人に「読みなさい」というのも間違いである。

また、単に読んでいく、解いていくのが苦痛な人も居るだろう。何せ七科目あるのだから(三科目に削減する話もあるが、これについてはまた別の機会に述べよう。)。この場合は、何か短答の知識を解説する講座をとって、一回分を聞く→その範囲の過去問を読む、解く等というように、ペースメーカーとして利用するのもオススメだ。ほんとに司法試験の勉強は、修行みたいで辛いが、これを耐えてこそ実力が向上する。

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やはり基本書不要

久しぶりに司法試験の勉強について回顧したい。司法試験合格のために何がもっとも必要なのか。私は、「時間制限」だと考える。試験時間が限られている、というのももちろんであるが、それだけではない。今この日から試験日まで何日あるのか、どれだけの勉強量がとれるのか、という事である。以前基本書を使うべきか、予備校本を使うべきか、という議論をしたが、その際私は予備校本をのみ使うべきだと主張した。これについても、「試験日まで基本書なんか読んでる暇あるんですか?」という私の考えを色濃く反映している。「基本書なんか読んでるの?じゃあ、もう予備校本を完全にマスターしたんだね、過去問もマスターしたんだね、それなら基本書で学術的な議論を学ぶのもいいね、すごいねえ。少なくとも僕にはそんな暇なかったよー、予備校本や過去問で手一杯、これさえ完璧にはならなかった」という事である。

私の合格直後の感想は、こんな感じである。「まずは、予備校本と過去問を使って勉強しよう。これが完璧になったら、次に、基本書でも読もう。」「うわー、もう試験日だー、予備校本と過去問の勉強さえ間に合わねー。」「ウソ?合格してるじゃん!」こんな感じ。私も、基本書の通読を否定しない。しかし、それは、基本的知識を予備校本と過去問である程度固めた後の話である。そして、この基礎固め自体、膨大な時間がかかる。そのため、結局、基本書を読んでいる暇などないのである。結論として、基本書は不要、予備校本のみで足りる、ということになる。

確かに、受験生の中には賢い人がいて、基本書を何度か読めば大体頭に入っている、という人もいる。でも、それは高スペックの人間がやることだ。私には関係がない。低スペックの人間が高スペックの人間の方法を見て、「これこそ本流・本格的な勉強法だ!」とかほざいても、滑稽でしかない。合格する気がサラサラないようにしか見えない。自分の実力を過信し過ぎていないか?という疑問がわく。はっきり言って、こういう自信過剰人間は、ロースクールに大量に居る。しかし、残念ながら何度受けても受からない。残念なことだ。もっと現実を見たほうがいい。

「何の基本書読んでるの?」
「いやー、基本書読む暇があるほど賢くないんで。」

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