右派弁護士の備忘録

世界文化に対する過去の日本人の態度は、自主的にして而も包容的であつた。我等が世界に貢献することは、たゞ日本人たるの道を弥々発揮することによつてのみなされる。国民は、国家の大本としての不易な国体と、古今に一貫し中外に施して悖らざる皇国の道とによつて、維れ新たなる日本を益々生成発展せしめ、以て弥々天壌無窮の皇運を扶翼し奉らねばならぬ。これ、我等国民の使命である。

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日本憲法の基本主義(美濃部達吉博士)読書ノート(1)

□国体:「歴史的に発達し構成せられた日本の国家生活の最も重要な特質」(3頁)
    →①歴史的特質,②倫理的特質(×法律的観念)
  □「国家の体制(国家の法律的組織の基本)」については,「国体」ではなく,「政体」という用語を使用すべき。


□主権:穂積説 :①最高性,②不可分性(単一性,唯一性),③無制限(万能性)
    美濃部説:「統治権」…統制力(支配権)
         ※「統治」 …「一定の国土人民を統御し支配すること」(27頁)
          「統治権」…「一定の国土人民を統御し支配する(統制力,支配権)」
         ・統治権は,上記①~③の性質を保有していなければならないものではない。

□美濃部博士の「法治主義」,「法の支配」,「法実証主義(=「悪法も法なり」)」
・統治権(=統治の権利)
 「統治権は国家の権利であり(=国家法人説,筆者注),而して凡て権利は法の承認に依り効力を有するもので,法の下に存するものである。統治権も亦国法及び国際法の下に其の効力を有するもので,其の承認する限界内に於いてのみ存することは,統治権が権利たることに基づく必然の性質である。」(32頁)
 「統治権は,(中略),決して国家の任意に如何なる事でも為し得るものではない。それは,行政権及び司法権に付いては言を待たない所であるが,唯立法権に付いては,動もすれば立法権万能の思想が行われて,法律を以ては如何なる事柄でも規定し得ないものは無いとする者が有るけれども,それは唯立法権の上に立って之を監督すべき権力なく,如何なる悪法が定められたとしても,何人も其の悪法なるが故を以て其の効力を否定するを得ないというに止まる。決して立法権が其の本質に於いて如何なる事をも定め得るものであるというのではない。立法権と雖も国家の目的に於いて其の必然の限界を有するもので,其の定むる所の実質は必ず国家の目的に適合するものでなければならぬ。唯何が最も能く国家の目的に適合するかに付いて,一定の法則を定むることが不可能であり,随って立法者の自ら認定する所に任されて居るというに止まるのである。」(33,34頁)
・統治の権能
 「主権が君主に属するというは,決して統治の権能が無制限に天皇に属することを意味するものではない。(中略)憲法の条規に依って制限せられて居るもので,即ち此の意義に於いての所謂「主権」とは統治の権利の意味でないと共に,又無制限の権力の意味でもない。統治権を総攬すとあっても,それは憲法の制限の下に統治の一切の権能が天皇属することを意味するものに外ならぬ。」(47,48頁)
・両者
 「要するに,我が憲法に於ける君主主義は,決して君主が統治の権利主体であるとするものでもなければ,君主が無制限の権力を保有するとするものでもない。我が憲法に於ける君主主権とは,国家の統治権の発動が君主に其の最高の源泉を発し,君主は何者からの委託に依るのでもなく,又何者を代理するのでもなく,専ら皇祖皇宗の遺烈に由り歴史的に此の力を固有せられ,而して憲法の条規に従い其の制限の下に此の力を行わせらるるものであることを意味するのである。」(51頁)

□美濃部博士の国家法人説(「国家=権利/君主=権能)
  □「統治権」 vs 「統治の(総ての)権能(×権利)」
   ・「統治権」  =国家(法人それ自体)
   ・「統治の権能」=天皇(法人の最高機関)
    □私見:株式会社   =国家
        株式会社の権利=統治権(=統治の「権利」,×無制限)
        代表取締役  =天皇
        代表権    =統治の「権能」(×無制限)
        定款     =帝国憲法
  □国家法人説のまとめ
   ●「統治の権利(=統治権)/統治の権能」,「私/公」,「国家,天皇」
   ・「権利」=「自己の目的の為に」認められて居るもの(43頁)。
   ・「統治権」は,「一定の国土人民を統御し支配する「権利」,支配権,統制力」である。
   ・天皇は,国土人民の為に日本国を治めているのであり,自己の(目的の)為に日本国を治めているのではない。
   ・統治権(=統治の権利)を保有しているのは,「天皇」ではなく,「国家」である。
   ・統治の「権能」(=統治権を発動させる力,統治権を動かす権能)は,「天皇」に帰属する。
   ・統治の権能は,「固有」のものである(=何者かの「委託」によるものでも,何者かを「代理」するものでもない。)。
   ・統治権も,統治の権能も,憲法による「制限」を受ける(=無制限ではない。)
   ・帝国憲法第4条の「統治権」は,上記の「統治権(=統治の権利)」を意味するものではなく,「統治の権能」を意味するものである。
     □批判(私見)
      ・国家を「権利」=「私」に結びつけるのは妥当ではない。国家も国土人民の為に自分自身を治めている。そもそも,「権利=私=自己の為に」,「権能=公=国土人民のために」という図式それ自体に疑問が残る。統治権が天皇に帰属しているからといって,天皇が自己の(目的の)為に統治権を行使していることにはならない。
      ・統治の「権利」と統治の「権能」の区別が曖昧である。「統治権は国家に帰属するものの,これを発動させる権能は天皇に帰属する。」という見解と「統治権は天皇に帰属し,これを発動させる権能も天皇に帰属する。」という見解を戦わせる意味がよく分からない。議論の実益が有るとは思えない。
      ・「天皇が国土人民の為に日本国を治めてきた。」ことの表現として,国家法人説のみがこれに成功しているとは思えない(→天皇主体説が直ちに家産国家思想と結びつく訳ではない。)。
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