右派弁護士の備忘録

世界文化に対する過去の日本人の態度は、自主的にして而も包容的であつた。我等が世界に貢献することは、たゞ日本人たるの道を弥々発揮することによつてのみなされる。国民は、国家の大本としての不易な国体と、古今に一貫し中外に施して悖らざる皇国の道とによつて、維れ新たなる日本を益々生成発展せしめ、以て弥々天壌無窮の皇運を扶翼し奉らねばならぬ。これ、我等国民の使命である。

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引用

 『「日本国憲法」と「大日本帝国憲法」とのそれぞれの制定経緯を比較してみると、いくつか意外に相似した事情があるのに、気がつく。
たとえば、どちらも、いわば“革命的”ともいえる変革を背景にして新しい“国づくり”をめざして作成されていること、当時の一般国民の意思または意見がほとんど反映されていないこと、などであるが、もうひとつ、双方とも外国人の知識を利用し、または外国人の手によってできあがった点にも、共通性がみられる。
(中略)
 しかし、当然のことながら「大日本帝国憲法」の作成と制定の主導権は日本側にあったし、内容も日本特有の「天皇制」を土台にしていた。その意味では、「大日本帝国憲法」はいわば“和魂洋才”的な性格であり、本書で明らかにしている如く、完全な“洋魂洋才”の「日本国憲法」とは、性格がちがっている。
 松本烝治国務相、佐々木惣一博士をはじめ、当時、憲法改正にたずさわった日本側関係者が、ひとしく心底に抱き、やがて総司令部草案に反撥したのも、この憲法における“和魂”が無視された点にあった。
(中略)かつて“国賊”とまで批判された美濃部博士が、「大日本帝国」の“崩壊”のさいにきわだった“愛国者”ぶりを顕示している事蹟は、憲法改正史をいろどる感慨深い一エピソードであろう。』(児島襄「史録 日本国憲法」(文藝春秋、S47)377頁以下)
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