右派弁護士の備忘録

世界文化に対する過去の日本人の態度は、自主的にして而も包容的であつた。我等が世界に貢献することは、たゞ日本人たるの道を弥々発揮することによつてのみなされる。国民は、国家の大本としての不易な国体と、古今に一貫し中外に施して悖らざる皇国の道とによつて、維れ新たなる日本を益々生成発展せしめ、以て弥々天壌無窮の皇運を扶翼し奉らねばならぬ。これ、我等国民の使命である。

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帝国憲法大意を読み解く3

この本を読んで一番戸惑う部分は、国務大臣が副署を拒否できない、という部分だろう。これだと、如何にも専制君主のようだ。
しかし、現実にそのようなことはなかった。天皇はあくまで、「裁可者」であり、「・・とすることにしました」という臣下の上奏に対して、「よろしい」と裁可する。従って、「副署を拒否出来るか」という問いも、現実にはあまり論議する意味がない。天皇が何か命令を立案して、「副署せよ」などという事態は、全く存在しなかったし、想像もできない。あくまで、臣下が命令などを立案して、陛下の裁可を得、国務大臣が副署するのである。
このように、清水澄博士の「国務大臣が副署を拒否できない」という部分は、建前、形式と考えておくべきかもしれない。ただ、この解釈が、天皇を政治利用し、勝手に天皇の名で命令などを作り、「国務大臣の分際で副署を拒否するのか」などと言う事態を招く恐れがあることは事実だ。
だから、私は、責任の所在を明白にするためにも、副署は拒否出来る、と考える。副署を拒否したとして、天皇の統治は毫も揺るがない。副署の拒否は、臣下内部の意見対立に過ぎない。 バジョットも言うように、君主には、「警告する権利」「激励する権利」「相談される権利」があり、これによって国政に事実上の影響を与えることができるのである。
なお、清水澄博士は、「国務大臣が副署を拒否した場合、詔勅に副署は不要」とまで言っているわけではない。
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