右派弁護士の備忘録

世界文化に対する過去の日本人の態度は、自主的にして而も包容的であつた。我等が世界に貢献することは、たゞ日本人たるの道を弥々発揮することによつてのみなされる。国民は、国家の大本としての不易な国体と、古今に一貫し中外に施して悖らざる皇国の道とによつて、維れ新たなる日本を益々生成発展せしめ、以て弥々天壌無窮の皇運を扶翼し奉らねばならぬ。これ、我等国民の使命である。

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

PageTop

交戦権とは

前日,南出氏の交戦権理解を批判したが,
確かに,戦後の憲法学者の交戦権理解が,
抽象的かつ観念的なものになってしまっていることは,
事実である。
その点で,南出氏の交戦権理解は,理由がない分けではない。
例えば,アメリカ憲法の話になるが,「戦争権限(war power)」について,以下のように考えられている。

「宣戦の権限を有する以上,終戦を有する権限も,また,連邦議会に存する。第一次世界大戦の後,ヴェルサイユ条約が上院の同意を得られなかったため,ドイツとの戦争終結の方法に関して疑問を生じたが,両院の合同決議に大統領の署名を得て,正式の終戦を迎えたのであった」(註解アメリカ憲法(酒井書店,1993)66頁)。

「宣戦の権限+終戦を有する権限+統帥の権限=戦争権限=交戦権」との理解も,不可能ではない。
戦後の憲法学者が「戦争は起きない」ことを当然の前提として,戦争権限等の概念を十分に検討してこなかったから,
南出氏につけこまれるのだ。左翼学者の責任だろう。
スポンサーサイト

PageTop

コメント


管理者にだけ表示を許可する
 

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。