右派弁護士の備忘録

世界文化に対する過去の日本人の態度は、自主的にして而も包容的であつた。我等が世界に貢献することは、たゞ日本人たるの道を弥々発揮することによつてのみなされる。国民は、国家の大本としての不易な国体と、古今に一貫し中外に施して悖らざる皇国の道とによつて、維れ新たなる日本を益々生成発展せしめ、以て弥々天壌無窮の皇運を扶翼し奉らねばならぬ。これ、我等国民の使命である。

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やはり基本書不要

久しぶりに司法試験の勉強について回顧したい。司法試験合格のために何がもっとも必要なのか。私は、「時間制限」だと考える。試験時間が限られている、というのももちろんであるが、それだけではない。今この日から試験日まで何日あるのか、どれだけの勉強量がとれるのか、という事である。以前基本書を使うべきか、予備校本を使うべきか、という議論をしたが、その際私は予備校本をのみ使うべきだと主張した。これについても、「試験日まで基本書なんか読んでる暇あるんですか?」という私の考えを色濃く反映している。「基本書なんか読んでるの?じゃあ、もう予備校本を完全にマスターしたんだね、過去問もマスターしたんだね、それなら基本書で学術的な議論を学ぶのもいいね、すごいねえ。少なくとも僕にはそんな暇なかったよー、予備校本や過去問で手一杯、これさえ完璧にはならなかった」という事である。

私の合格直後の感想は、こんな感じである。「まずは、予備校本と過去問を使って勉強しよう。これが完璧になったら、次に、基本書でも読もう。」「うわー、もう試験日だー、予備校本と過去問の勉強さえ間に合わねー。」「ウソ?合格してるじゃん!」こんな感じ。私も、基本書の通読を否定しない。しかし、それは、基本的知識を予備校本と過去問である程度固めた後の話である。そして、この基礎固め自体、膨大な時間がかかる。そのため、結局、基本書を読んでいる暇などないのである。結論として、基本書は不要、予備校本のみで足りる、ということになる。

確かに、受験生の中には賢い人がいて、基本書を何度か読めば大体頭に入っている、という人もいる。でも、それは高スペックの人間がやることだ。私には関係がない。低スペックの人間が高スペックの人間の方法を見て、「これこそ本流・本格的な勉強法だ!」とかほざいても、滑稽でしかない。合格する気がサラサラないようにしか見えない。自分の実力を過信し過ぎていないか?という疑問がわく。はっきり言って、こういう自信過剰人間は、ロースクールに大量に居る。しかし、残念ながら何度受けても受からない。残念なことだ。もっと現実を見たほうがいい。

「何の基本書読んでるの?」
「いやー、基本書読む暇があるほど賢くないんで。」
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